“記憶に残る病院広報” 感情・体験・ブランドの力を活かす
病院広報アワード2025 審査員リレー寄稿(最終回) オピニオン
【NPO法人メディカルコンソーシアムネットワークグループ理事長 山田隆司】
昔のCMで恐縮ですが、「やめられない とまらない」と聞けば、自然とあのエビのスナック菓子が思い浮かびます。売り場でこのお菓子を見かけると、「やめられない とまらない」のフレーズが頭の中で流れます。同じく「おさかなくわえたドラ猫」というフレーズに触れると、『サザエさん』の世界が思い浮かび、穏やかな気持ちになります。
このような現象は、心理学で「アンカリング」や「プライミング効果」と呼ばれています。ある感情や体験は五感からの刺激と結びついていて、その刺激を再び受けたときに、同じ感情が呼び起こされるという仕組みです。アンカリングの“アンカー”は記憶を呼び起こす「引き金」ともいえるでしょうか。
Appleのロゴを目にすると、単なる製品と捉えるだけでなく、「ある種のライフスタイルや価値観の共有」「生活を快適にして未来的な感覚」といった“体験の記憶”がよみがえります。Apple Watchを身に着けて健康管理を始めた方にとっては「健康を意識するきっかけ」として記憶されますし、iPhoneは「生活に欠かせないツール」として生活に溶け込んでいます。ロゴは「視覚的アンカー」として、感情や経験と深く結びついています。つまり、ブランドとは「記憶と感情の蓄積」といえます。このような「記憶と体験の重なり」「記憶と感情の結びつき」を生み出す仕組みは、病院の広報にも応用できます。
病院のロゴやキャラクター、イメージカラーを統一して使用し続けることで、色や形そのものが「安心」「信頼」といった感情と結びついていきます。パンフレットやホームページ、院内のサイン、スタッフの名札など、すべてにおいて視覚的な一貫性を持たせることは、見た瞬間にその病院を思い出す、記憶の起点となるのです。
音の力も見逃せません。Appleの起動音や映画のテーマソングのように、音もまた感情と深く結びつく記憶装置です。恵比寿駅のホームで流れる音楽を聴くと、あるビールを飲みたいと思うのは私だけでしょうか。病院独自のBGMやイメージソングを活用することで、「音を聴くと病院の雰囲気がよみがえる」といった、聴覚的なアンカーを作ることができます。穏やかな音楽は、患者さんの不安を和らげ、院内に温かい空気感を生み出します。
病院が発信する言葉もアンカーになります。病院の理念を端的に表したメッセージやキャッチコピーに繰り返し触れることで、信頼や親しみとともに記憶されるようになります。SNSや院内掲示、広報誌などで一貫したメッセージを発信し続けることが、「思い出される病院」への第一歩になるのです。
最も人の記憶に残るのは「体験」です。病院を訪れ、スタッフと会話し、健康講座やイベントに参加して五感を通して体験した感覚は、そのまま病院への印象と結びついていきます。市民向けイベントで血圧測定や栄養相談を受けて「あの病院のスタッフは親切だった」「あの病院なら信頼できそう」というポジティブな記憶として残るのです。
さて、記憶について語るときに注目したいのが、記憶を司る脳の部位「海馬」の働きです。海馬は、新しい情報を記憶として保存・整理する重要な中枢ですが、特に“感情を伴う情報”は、より強く記憶に残る傾向があります。つまり、単なる情報よりも、「嬉しかった」「安心した」「感動した」といった感情が加わることで、海馬に刻まれやすくなるのです。これは、広報活動の中で「心を動かす仕掛け」がどれほど重要であるかを示しています。
さらに、人との信頼関係や愛着形成に関係するホルモン「オキシトシン」の存在も欠かせません。オキシトシンは「大好きホルモン」とも呼ばれ、温かいコミュニケーションやふれあいの中で分泌されます。患者さんとスタッフが交わす笑顔や「ありがとう」の言葉、地域の人々と病院スタッフが一緒に作るイベントの時間などが、オキシトシンの分泌を促し、「安心」「信頼」という感情をさらに強固に記憶に結びつけてくれます。
病院の広報とは「情報を伝える」だけでなく、「感情を動かし、記憶に残る体験」、地域の皆さんに「この病院なら大丈夫」と感じてもらえるような広報活動の設計が求められています。
五感(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)と言葉、そして体験はコミュニケーション、記憶の形成に深く結びついています。Appleが製品だけでなく「体験そのもの」をブランド化しているように、病院もまた、“安心と信頼の体験”をブランドとして育てていく必要があるのです。
人は、記憶に残っている病院を選びます。だからこそ、広報は「記憶をデザインする仕事」と考えます。
そして、病院と地域の人々の心をつなぐ架け橋となると思います。山田隆司(やまだ・たかし)
東京医学専門学校臨床検査科卒業。国家公務員共済組合連合会虎の門病院臨床検査部、診断薬会社、実験動物研究所センターを経て、1990年より医療法人鉄蕉会亀田総合病院入職。幕張新都心に新設した亀田総合病院附属幕張クリニック準備室室長・事務長・千葉事業部管理部長を務める。2006年より医療法人敬和会大分岡病院(現在・社会医療法人)広報マーケティング部部長、11年より同部顧問。13年より多摩大学医療・介護ソリューション研究所副所長を務める。現在、NPO法人メディカルコンソーシアムネットワークグループ理事長、全国病院広報実務者会議代表、病院広報誌編集会議代表、日本医療実践協会東海支部参与、医療法人広報顧問などを務める。
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