野村総合研究所
ヘルスケア産業コンサルティング部 Public & Digital Healthドメイン
エキスパートコンサルタント
下松 未季
本章においては、介護経営を論じるうえでの環境変化を制度変革の観点から論じていく。2000年の介護保険制度創設以降、介護業界は規制産業として、国が定める介護報酬に経営が左右されてきた。介護保険制度は3年ごとの改正サイクルで「給付と負担」の見直しを繰り返してきたが、近年の介護給付費の増大を受けて、保険給付の対象や範囲そのものが見直される議論が目立つようになっている。なかでも介護経営に大きなインパクトを与えるイシューとなっているのが、要支援・要介護度の低い層(要支援1・2および要介護1・2)に対する給付を保険給付の枠から市町村事業である総合事業へと移行させる、軽度者向け給付の見直し議論(いわゆる「軽度者切り」)である。
軽度者向け給付の見直し議論は突然浮上したものではない。2014年改正では要支援1・2の訪問介護・通所介護が予防給付から切り離され、市町村の介護予防・日常生活支援総合事業へと移管された。この手法は以降の給付見直しのひな型となり、現在の焦点は要介護1・2の訪問介護・通所介護への拡張にある。社会保障審議会介護保険部会では反対を受けて結論が先送りされてきたが、第10期計画期間(2027年度〜)に向けて改めて検討することが整理されており、その意思決定は目前に迫っている。併せて、福祉用具の給付範囲の限定や、利用者2割負担の対象拡大、ケアマネジメント有料化の検討など、給付範囲と利用者負担の両面から見直しが進められている。
これらの介護給付の抑制に関する議論と同時に、介護事業者側の成果に報いるインセンティブ改革も進展している。その代表例が、LIFE(科学的介護情報システム:Long-term care Information system For Evidence)である。LIFEは、事業者が利用者の状態やケア情報を国のデータベースに提出し、そのフィードバックを受けて科学的根拠に基づくケアの改善につなげる仕組みであり、2021年度介護報酬改定で本格導入された。関連する加算の要件にLIFEへのデータ提出が組み込まれることで、事業者はアウトカム(改善成果)を可視化することが求められるようになっている。加えて、テクノロジー活用等を評価する生産性向上推進体制加算なども新設されており、給付を絞る政策と、自立支援を評価し、介護予防や改善を目指す政策はセットで進んでいる。
こうした方向が要請されるのは、二つの構造要因からである。第一に財政面では、介護給付費が制度創設時の約3.6兆円から14兆円規模へと拡大し、第1号保険料は全国平均で月額6,000円を超えるなど、給付拡大を無限に続ける余地はもはや残されていない。第二により本質的な要因として、2040年度には約272万人の介護職員が必要とされる一方で、生産年齢人口の縮小によりその確保は極めて困難な見通しにある。つまり、保険料を払っても専門職サービスが物理的に買えない時代が迫っており、軽度者に有資格者が従来通り関与し続ける前提そのものが成立しなくなりつつある。
したがって、今後介護に携わる事業者に問われるのは制度改革を踏まえていかに自らの事業モデルを再設計するかである。「利用者を要介護状態にとどめる事業者」に、この先の生存余地はない。従来型モデルには、要介護度が上がるほど報酬が増えるゆえに自立支援と経営が構造的に矛盾するという欠陥があった。しかしながら、いまや従来モデルは、財源制約・人材制約・社会正義のいずれの観点からも限界を迎えた。アウトカム評価の拡大は、この矛盾を反転させ、改善させた事業者が報われる構造への漸進的移行を意味する。ここで求められる転換が「攻めの介護予防」である。改善が経営に返る設計に変われば、自立支援は理念ではなく戦略となる。
「攻めの介護予防」の要諦は、事業者が予防を主力商品として設計・販売できるかにある。既存利用者の重度化防止にとどまらず、自治体との連携を通じてフレイル段階の未認定層にまで事業者側から踏み込んでいく姿勢が求められる。介入の内容も、機能訓練に閉じず、社会参加、就労的活動、栄養、口腔、住環境、家族支援など、幅広いプログラムが考えられる。さらに、保険給付の内側だけで戦うのではなく、保険外サービス、自治体委託といった隣接領域は、いずれも保険給付の外側にある成長市場であり、新たな事業機会となる。これらを支える前提として、生産性を向上させ、貴重な専門職を重度者ケアと予防プログラムの設計業務に集中させる体制構築が不可欠である。
制度改革は外部環境の変化ではなく、事業モデルの前提条件そのものの書き換えである。「軽度者切り」への反対には正当性があるが、反対のみでは経営も利用者の生活も守れない。政治の動向を制約と捉えるか、事業モデル転換の号砲と捉えるか。この解釈の差が2040年に向けた事業者の生存を分ける。次章では、この政策転換が報酬単価と収益構造にどう波及するかを、経済の観点から論じていく。
介護経営に関わるさまざまな課題を未来に向けて深く考察する「介護経営論考」。シンクタンク5社(日本総合研究所・NTTデータ経営研究所・野村総合研究所・みずほ総合研究所・三菱総合研究所)がリレー形式で毎週論ずる。(次回配信は10月2日にみずほ総合研究所vol.2を予定)
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