脱サラし、医師になったから分かること
あの時、私はこう考えた(1)
そのころだった。医師になりたい、それも在宅医療をやりたいとの思いがじわじわとわき始めていた。企業では当たり前の転勤話が浮上したころに、上司に退職の意思を伝えた。 田村は、両親に相談することなく、会社を辞めた。会社に辞表を出し、両親に報告に行くと、父は驚き、しばらく寝込んでしまった。しかし、母の反応は違った。「あなたは、一介のサラリーマンで終わると思わなかった。その決断は大賛成。絶対、医師になって」と、背中を押してくれた。 岐阜大医学部に進学した。親に相談せず会社を辞め、医師になることを決めただけに、今さら学資を頼るわけにはいかなかった。近所の子どもたちを集めて勉強を教える「田村塾」を開業した。そこで稼ぎ、医学部で勉強を続けた。この塾の名前は、母が教師を辞めた後、静岡の実家で開いた学習塾と同じだ。 ■研修医時代、ある医師との出会いがその後に影響 医学部を卒業後、医局に残って岐阜大医学部附属病院に勤務する選択肢もあったが、研修先に千葉徳洲会病院を選んだ。ここで出会う1人の医師が、後の田村の医療に対する考え方に影響を及ぼした。その医師は当時、千葉徳洲会病院で副院長の清水正法だった。 清水は患者からの信頼が厚かった。外来で診た後に入院しても、担当してほしいと請われ、副院長だったにもかかわらず、何十人もの患者を受け持っていた。田村は、「清水先生の背中を見ていた」と、そのころを振り返る。清水と患者の深い信頼関係を感じさせるエピソードがある。
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