在宅医療で薬局経営に活路
事業譲渡で「仕事の幅広がる」
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塩飽と在宅医療との出合いは92年夏、自宅で鳴った一本の電話がきっかけだった。相手は、当時勤めていた医療機器メーカーの幹部。今後の医薬分業の発展を見据え、グループ内で薬局経営に特化した別会社を立ち上げることになり、設立メンバーの一人として、塩飽に白羽の矢が立ったのだという。
声が掛かったのは支店長や課長クラスばかり。一方の塩飽は33歳、沖縄県浦添市の事務所で「ME兼営業マン」として働いていた。調剤薬局は未知の世界だったが、意外にも迷いはなかった。「新しい事業をやれる」―。塩飽は3年住んだ沖縄に別れを告げ、新たなスタートを切ることになる。
■“院外受難”の中、医薬分業を推進
だが、当時の分業率はわずか14.1%。院内調剤が当たり前の時代に、薬局で働いてくれる薬剤師はなかなか見つからず、ようやく開局にこぎつけると、今度は処方せんが集まらない。八方ふさがりの中、塩飽は医療機関への営業活動に明け暮れた。
ところが、この経験が塩飽を在宅医療の世界へと導くことになる。「処方せんが集まらなければ、別の方法を探せばいい」。試行錯誤の末、退院後のIVH製剤の服薬を支援するシステムをつくったり、在宅患者のストーマ・ケア用品の販売ネットワークを構築したり、外来の処方せん以外で活路を見いだしていく。
こうした中、別会社への転籍から4年後の96年秋、塩飽は営業先で懇意になった勤務医から、クリニック開業の相談を持ち掛けられる。「医薬分業を推進したい」という医師の考えに共感した塩飽は、翌年春に会社を退職し、メディカルブレーンを設立。同年6月、その医師が旧志賀町(現大津市)のJR和邇(わに)駅周辺にクリニックを開業したのを機に、近隣に「わに薬局」の1号店をオープンさせた。
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