膨れ上がる社会保障費を背景に、持続可能な医療や介護の姿とは-。CBnewsは、日本医業経営コンサルタント協会とタッグを組み、医療や介護の未来像を探す連載寄稿「多事創論」をスタート。3回目は桜井会計事務所 税理士 医業経営コンサルタントの櫻井裕子氏。
近年、医療機関を取り巻く経営環境は大きく変化しています。エネルギー価格や医療材料費の高騰に加え、慢性的な人材不足による賃金上昇が続いています。一方で、医療機関の収入の大部分を占める診療報酬は公定価格であり、一般企業のように価格へ転嫁することはできません。
そのため、多くの医療機関では「利益が減っているから経費を削減しなければならない」という発想になりがちです。しかし、医業経営において最も大きな費用である人件費を単純に削減することは、医療の質や職員の定着率低下を招き、結果として収益力を損なう可能性があります。
では、この時代の原価管理はどのように考えるべきでしょうか。そのヒントとなるのが「変動損益計算書」の考え方です。通常の損益計算書では、収益から費用を差し引いて利益を計算します。しかし変動損益計算書では、費用を「変動費」と「固定費」に分けて考えます。
変動費とは、医薬品費、診療材料費、検査委託費など、収益に応じて増減する費用です。一方、人件費や家賃、減価償却費などは固定費として扱います。そして、「限界利益=医業収益-変動費」で計算される限界利益が、固定費を賄い利益を生み出す原資となります。物価高騰時代の経営改善で最も重要なのは、固定費を削ることではなく、この限界利益をいかに増やすかという視点です。
例えば、顧問先のある診療所では看護師や医療事務職員の離職防止のため、年間600万円の賃上げを実施しました。院長は「利益が大きく減るのではないか」と心配していましたが、変動損益計算書で分析すると別の課題が見えてきました。レセプト請求漏れの改善、診療材料の仕入価格の見直し、検査委託費の再検討を行った結果、限界利益は年間800万円改善しました。結果として人件費は増加したものの、利益は維持することができました。
この事例から分かることは、「人件費を削ったから利益が出た」のではなく、「限界利益を増やしたことで適正な人件費を支払うことができた」ということです。
特に現在の医療業界では、人材確保が経営上の最重要課題の一つです。看護師や医療事務職員、医療専門職種の採用競争は激化しており、賃上げは避けられない状況にあります。
だからこそ、人件費をコストとしてだけ見るのではなく、生産性向上の視点が必要です。最近では、生成AIを活用した文書作成支援や音声入力による記録作成、院内チャットによる情報共有などを導入し、残業時間を削減している医療機関も増えています。こうした取り組みは単なるDXではなく、人件費当たりの生産性向上につながる投資と考えるべきでしょう。
また、部門別採算管理も重要です。入院、外来、訪問診療、健診、自費診療など、それぞれの部門でどれだけ限界利益を生み出しているのかを把握することで、経営資源をどこに集中すべきかが見えてきます。さらに、人件費の適正水準を判断する際には、「一人当たり医業収益」「一人当たり限界利益」「労働分配率」といった指標が有効です。人件費額だけを見るのではなく、職員一人ひとりがどれだけ付加価値を生み出しているかを把握することが重要です。
物価高騰や人件費上昇は一時的な問題ではなく、今後も続く構造的な変化と考えられます。これからの医業経営に求められるのは、単なるコスト削減ではありません。変動損益計算書を活用して限界利益を把握し、その成果を適正な人材投資へ結び付ける経営です。いまこそ「原価を『見える化』する経営」への転換し、診療報酬改定に期待するだけではなく、自院の原価構造を正しく把握し、経営資源を最適に配分することが、持続可能な医療提供体制を実現する第一歩となるのではないでしょうか。
公益社団法人日本医業経営コンサルタント協会
医療・介護・福祉分野の経営支援を担う専門家「認定登録 医業経営コンサルタント」の養成、認定を行う。調査研究や研修、資格制度の運営を通じて医業経営コンサルタントの向上を図り、地域医療や社会保障の発展に貢献している。
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